見たものたち

恥ずかしいから読まないで下さい

あきらめて受け入れること

 

 

 

 

 

1週間あいたー!

 

 

 

 

 

継続日数がリセットされてやる気失っていたんだけど、またてきとうに書きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回は「諦めて受け入れる話」。

 

 

 

 

 

 

 

これは簡単なことじゃないんだけど、

 

「こんな自分が嫌だ、変わりたい」

 

から……

 

 

 

 

生まれるパワーもあれば、

 

生まれる辛さもある。

 

 

 

 

 

 

 

なぜこれを書こうかと思ったかというと、

 

最近自分がADHDである事実によって

 

困らされる事象が立て続けに起こったから。

 

 

 

 

 

そして困ったことに私は、

 

不安があると全てが手につかなくなる。

 

 

 

 

 

1つ困って落ち込むことが起きて

 

ドミノ倒しみたいな感じで

 

掃除も洗濯も(なんなら他の日常生活動作も)みるみるうちにできなくなった。

 

 

 

 

 

 

この感覚は多分発達ミスってる人にしかわからないきがする。

 

 

 

 

 

 

物事がうまく達成できない時、どうしてますか。

 

 

 

 

おなかをこわしたら正露丸を飲むみたいに、

 

これ!っていう対処法があるなら、

 

もちろんそれが1番いいし、ラクでもあるとおもう。

 

 

 

 

 

 

ただたとえば、

 

 

 

私の「ポストを開けられない」とか

 

「支払いが把握できない」とか

 

「仕事に熱中していると家事が一切できない」

 

 

とかって、本当に対処法がないんですよ。

 

 

 

 

 

 

最近やっと心から理解出来た。

 

これは一生直らないって。

 

ていうか直すような性質のものでもない。

 

 

 

 

 

 

みにくいアヒルの子なの!

 

持って生まれたものが異質というだけ!

 

異なる性質。

 

 

 

 

 

 

 

話を戻すけど、これは誰にでも当てはまる話。

 

 

 

 

「できない」

 

頑張って頑張って、

 

「できた」「できる」

 

にするって

 

 

 

もちろん素晴らしいことだけど、

 

実は選択肢のひとつでしかないんですよ。

 

 

 

 

 

 

 


「できない」を受けいれ、

 

「人に頼む」「自動化する」など

 

「やる」から合法的に逃げる方法を模索する。

 

 

 

 

 

それで形になれば、それでオッケーなの。

 

 

 

 

 

 

 

 

だから、繰り返しになるけど

 

 

 

 

障害にしろなんにしろ

 

みんなが「できない」ことって必ずしも

 

「できる」になる必要ないんですよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ときには諦めろ。

 

そして受け入れろ。

 

 

 

 

 

 

 

なんで私はできないんだ。ダメだ。

 

直さなきゃ、治さなきゃ、って考えるのは

 

選択肢を減らすことだから。

 

 

 

 

 

成長って、「できない」が「できる」になることだけじゃないから。

 

 

 

 

 

 

できないことからは合法的に逃げよう。

 

結果的に、「できたみたいな形になる方法」を探そう。

 

 

 

 

 

 

それをできるようになる事って、

 

そこまでに必要な努力やストレスに見合ってる?

 

一度考えてみてもいいかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

できないことは思い切って人に任せて、

 

強みを伸ばした方が素敵になれる!なんてことも、多いからね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あー具合悪かった!

 

けっこうまじで詰むかと思いました

 

とりあえず以上。

休憩

 

 

 

 

 

今日は休憩です。

 

 

 

 

料理するたびに、もしかして私が毎回美味しい料理作れるのって当たり前じゃないのでは?と思う。

 

 

 

だいたい冷蔵庫を見て、あるものを把握して

 

 

「もやし 豚ひき肉」

 

 

とか検索して、出たレシピを作っているんだけど。

 

 

 

 

 

その時行われている作業って、

 

 

手元のひき肉の量とレシピを比べての

全ての材料の比率を調整

 

作り方を見て、どのくらい振り幅があってもおいしくできるかの判断

 

レシピ通りにしても、状況によって調味料を加減

 

 

 

とか、けっこう色々しているという。

 

 

普通に、結構えらいんじゃないか?

 

 

 

 

はえらいとか美人とかすごいとか、

 

なんでも振り幅があると思っているから

 

みんながだいたい私より料理上手だとしても、

 

私もおいしいやつが作れるから偉いと思う。

 

 

 

美味しいからハイボール飲みます。

 

 

 

以上

努力って言うけどさ

 

 

 

 

 

 

努力ってなんでしょーか!

 

 

 

 

 

努力って、必ず目的があってやるもの。

 

かならず!目的がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして努力にも種類があって、

 

 

 

 

 

 

 

①嫌だけど、目標の為にやる努力

 

②習慣化された努力

 

 

 

 

このふたつがある。

 

 

 

 

 

 

どういうことかというと!

 

 

 

 

 

仮にあなたが毎日朝晩歯磨きをする人だったとして、

 

 

 

 

3日に1回しか歯磨きをしない人に

 

 

 

 

「1日に2回も歯を磨くなんてすごいね!面倒じゃないの!?本当に努力してるね!」

 

 

 

と言われたとしても、

 

 

 

 

「え、磨かないと気持ち悪いし、虫歯になるじゃん……」

 

 

 

 

「努力でもなんでもねえよ…、っていうか毎日歯磨きしないんだなこの人は。別にいいけど……」

 

 

 

 

 

と感じると思う。

 

 

 

 

 

 

 

運動とか早起きとか勉強とかも全く同じで、

 

 

 

 

習慣化されてしまえば、

 

目標の為という側面にプラスして

 

 

 

 

「やらないのが気持ち悪いと感じる」

 

 

という、自然な感情が生まれる。

 

 

 

人間は感情的な生き物なので、

ここに乗ってしまうととても強い。

 

 

 

 

 

目標(虫歯にならない)ために

 

頑張って嫌々磨いているのではなく、

 

 

 

 

「口きもちわる」と心で感じて、

 

「さて磨くか」と自然と体が動く、ということ。

 

 

 

 

 

ちなみに、心理学的には

 

人間がある行為を習慣化する為には、

 

2週間の時間がかかる。

 

 

 

 

 

「嫌な努力」も2週間続ければ、高確率で

 

「習慣化された努力」になるということ。

 

 

 

 

 

 

 

「嫌な努力」をしてる時には

 

お前らが遊んでる間に頑張ってる私、ドヤ?

 

という努力マウントをとりたくなる。

 

そんな人が多いと思う。

 

 

 

 

 

 

ただこれ実は習慣化されてしまえば結構無敵で、

 

「ふつう」になるからマウントとるという発想がなくなる。

 

 

 

 

いつも歯がピカピカなんて当然で、

 

歯垢スッキリマウントなんてダサいじゃないですか。

 

 

 

 

 

なぜなら3日間歯磨きしなくて平気な人なんて

 

申し訳ないくらいに眼中に無くなるから。 

 

 

 

 

 

 

 

歯垢で例えたのはちょっとアレだけど

 

 

 

努力すればまず自分が変わるし

 

自分が変われば見える世界が変わるし

 

見える世界が変われば生活変わる。

 

 

 

 

世界変わるってべつにそんな大きなことじゃなくて、

 

自分の中での「あたりまえ」がいい方向にずれていくということ。

 

 

 

 

 

 

※ちなみに習慣化されて楽しくなってくる行為の種類には向き不向きがあるし、そこをミスると

 

嫌いなことをやり続けて

「いつまでたっても習慣化されねえ、ずっとやりたくねえ」

と感じ続けるハメになるから、努力選びは慎重に。

 

 

 

ちなみにわたしは6年以上ピアノを習っていたけど、ピアノが大嫌いだったので

 

今はねこふんじゃったしか弾けません。

 

 

 

 

 

 

勉強したことまとめでした。

 

 

 

 

以上

 

幸せ以外全部イヤ

 

 

 

 

 

今日は晴れだった。

 

 

 

 

 

気温も丁度よかった。

 

 

 

 

 

お散歩してたら沢山考え事が出来たから

 

前回ちらっと書いたネタはストックしておく。

 

 

 

 

 

今回は「幸せ以外全部イヤ」なんだけど、

 

2〜3年前から私はずっとこれで生きてる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

不幸な事、不幸の元になることは全部やりません!

 

 

 

 

 

本当に1つもしてないんじゃないか?ってくらい

 

嫌な事やってない。

 

 

 

 

(どんなにキモいことでも「なにこのケースうける〜」と考えて取り組んでるのもひとつの要因だとは思うんだけど……それは別の話題……)

 

 

 

 

 

では私のおもう幸せとは?という話だけど

 

 

 

 

「相対的でなく絶対的に!」

 

 

 

は結構最近のはやりだし、

 

私自身のスローガンでもある。

 

 

 

 

 

 

 

具体的には

 

 

 

 

 

・ディズニーリゾートにいるとき

 

・お酒を飲んでいる時

 

・大切な人と交流しているとき

 

・新しい発見をしたとき

 

・おもしろいものを見た時

 

・なにかを作ってる時&できた時

 

 

 

 

 

 

こんな時に幸せを感じる。

(あくまで一例)(酒が2番目かよ)

 

 

 

 

 

 

まずはこれ全部主体で絶対的だからばんざーい。

 

 

 

 

 

 

 

そして、すごくしょうもない話なんだけど

 

 

 

 

 

これを労働に変換する

 

 

 

ということができないと生きていけない。

 

 

 

 

 

それ以外の方法は、

・福祉から現金を貰いながら生きる

・他人から現金を貰いながら生きる

しかないし、今のところそのつもりもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回はその方法をどうするか?っていう記事ではなく

 

その構造を書き残しておく記事。

 

 

 

 

 

 

 

 

要は、いまは

 

「好きなことをして幸せでいる状態」

 

を維持できていて最高。

 

 

 

 

不安といえば

 

「その結果、

金が無くなって家が無くなって食えなくなって死ぬ」

 

こと。

 

 

 

 

これを避けて、且つ

 

「好きなことをして幸せでいる状態」

 

でいるためには、

 

 

 

 

ベタベタだけど

 

「好きなことで生きていく」

 

をしなきゃいけない

 

 

 

 

 

ということ。

 

 

 

 

 

 

マジでベタベタに手垢まみれだな!!

 

書いててうんざり。。笑

 

 

 

 

 

 

難しいと思うけど

 

それでも「幸せ以外全部イヤ」を変えるつもりは無い。

 

 

 

 

 

そのひとつの方法として、

労働を幸せに変換する

というのもあると思っていて。

 

 

 

 

不本意にパン屋になっても、

 

「どれだけ丸いパンを焼けるか選手権」

 

を自分の中で開催して、

丸いのが焼けたら喜ぶ。とかそういうこと。

 

 

 

 

 

 

 

そういう意味で、幸せを感じるにも能力が必要で

 

 

ここに「いろんな状況下で」っていう条件を加えると、もっと難しくなる。

 

 

この能力だけは積極的に向上させていきたい。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1年後の自分は何してるのかなぁ

 

わくわくする。

 

 

 

 

---------------

 

 

 

 

人と話さないから

 

自分ワールドの記事しか書けなくなってる…

 

読み返して消したくなるかもしれない

 

 

 

 

そもそも私の考え方は1人で生きていること前提の思想なので…

 

パートナーとか子供がいたら

 

その状況に合わせて、

 

しなやかに変えていくことができるようなものでないといけないね

 

 

 

 

 

 

 

 

すんません。

 

 

 

 

 

 

以上

自己肯定は必要か

 

 

 

 

 

先日も自己肯定・自己肯定感の話を書いたけど

 

 

 

 

そもそも自己肯定って必要なんでしょうかね。

 

 

  

 

メッチャ流行ってるじゃないですか自己肯定感。

 

 

 

 

 

 

 

私が初めてこの言葉をきいたのは、

乙武洋匡氏にハマってた時

 

教育関係の著書で読んだような気がするんだけど。

 

 

 

 

 

 

自己肯定感……

 

 

 

 

 


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まあ「肯定」って言葉が使われてるから

 

当たり前と言ったら当たり前なんだけど、

 

 

 

 

 

 

ポジティブに自分のことを捉えましょう。とそういうこと。

 

 

 

自分はプラスの存在だ!と捉えるということ。

 

 

 

 

 

 

ふつうにムズくないですか?

 

 

 

 

 

 

ここが自己受容との違いだと思っていて

 

 

 

 

 

自分の存在が

 

(生き物として、他者にとって、などどんな視点であろうと)

 

 

 

 

プラスでも、マイナスでも、プラマイゼロだとしても

 

それで生きている自分を受け入れるのが、自己受容。

 

 

 

 

 

 

 

 

「自分サイコー!」

 

 

って、要りますか?別にいらないと思う。

 

 

 

 

 

 

 

自己肯定感の鬼みたいな私が言うのもアレだけど

 

自分のことをプラスに捉えるなんて

 

けっこう少数派なんじゃないか?

 

 

 

 

 

 

 

身長175センチ越えの日本人と同じくらい少ない気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

「わたしってとても素晴らしい価値ある人間だから」

 

 

 

「この世界で生きていていいんだ」

 

 

 

 

という、前半部分、べつにいらない。

 

 

 

 

 

この世界で生きている自分、を

 

受け入れることができるのが、

 

自己受容の能力だと思う。

 

 

 

 

 

 

自分の価値を探してる段階でも、

 

頑張って生きてるから

 

とてもえらいと私は思う。

 

 

 

 

自己肯定感が強い人生であることが

 

いまのわたしは楽しいけど、

 

自己肯定感がないと幸せになれないというのも

 

それもまた違う気がするなぁと

 

そんなふうに思った話でした

 

 

 

 

 

 

ネタに困ってこの話したはずなんだけど、

 

 

「努力の話」を書こうとしてたの忘れてた!

 

「強さの話」も書きたい

 

 

 

 

 

 

 

ブラックニッカってトリスよりおいしいですね。

 

 

(シラフに戻って修正かけた)

 

 

 

 

 

 

 

 

以上

嫌な時に離れることの話

 

 

 

 

 

 

 

人間の抱く、「こいつ嫌だ」って感情    

 

 

 

 

 

 

 

 

曖昧すぎません?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10年くらい前に

 

ただしイケメンに限る

 

という

 

女性をバカにする目的の、

クソみたいなネットスラングが流行ったんだけど

 

 

 

 

 

別にこれ男女逆でも同じじゃん?

とめちゃくちゃ冷ややかに感じていたのを覚えてる。

 

 

 

 

 

 

 

 

ただ、実際のところ

 

発言によって他人を評価することはあっても

 

「何を言うかより、誰が言うか」

 

みたいな部分って必ずある。

 

 

 

 

 

 

イケメンか美人か、そうではないか、

 

学歴があるか、自分の好きな芸能人か、

 

以前どんな発言をしていたか、

 

家族構成はどうか、

 

何をなしとげた人なのか。

 

 

 

 

 

など。

 

 

 

 

 

 

 

色眼鏡とはほんとよく言ったもので、

 

誰の発言かな、というフィルターっていうのは

 

全員が共通して持っているものだと思う。

 

 

 

 

 

 

でもね、その逆で

 

 

どんなに今まで良くしてくれた人であっても

 

 

 

発言ひとつで、「あ、こういう人なのね」

 

失望してしまうこともある。

 

 

 

 

 

ちなみに私の場合、差別的な発言とか

 

想像力が欠けた発言とか

 

突き抜けて卑屈な発言とかをきいたとき

 

たまにこれが起きる。

 

 

 

 

 

 

 

そんな時大切なことは、

 

 

 

 

 

「は?こいつのこの発言、無理!」

 

と感じる

 

自分と向き合うことだと思っている。

 

 

 

 

 

 

これは本当に、重要。

 

 

 

 

 

 

 

「この人は私にこんなに〇〇をしてくれているのに、ひとつの発言で判断するなんてイケナイ。私は未熟者。」

 

 

 

とかアホな考え方をすると、

 

人生がどんどん嘘で染まっていく。

 

 

 

 

 

 

そもそも、発言って人間性なんですよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

ブスという言葉を使う人間は

 

人間をブスかそうでないかに分けた世界に生きているし、

 

 

 

 

 

 

ガイジという言葉を使う人間は

 

障害を健常以下だと考える世界に生きている。

 

 

 

 

※これは、自分が前者に属してるか後者に属してるかには一切よらない

 

 

 

 

 

 

言い過ぎに見えるかもしれないけど、これは紛れもない事実。

 

 

 

 

 

 

別にそういう人間はゴミだ!とか

 

離れなさい!とか言いたい訳ではない。

 

 

 

 

 

 

要は、「こいつないわ!」と自覚して

 

 

少し距離をおいて

 

 

それでも

「アイツ面白いからまた会いたいなあ」

となれば

 

 

「ないわ!って部分を持っているけど、その反面、とても面白いアイツ」に会う。

 

 

という意識で会えばいいという話。

 

 

 

 

自分に嘘をつくのが良くないという話。

 

 

 

 

 

 

何か違うか。何がマズいか。

 

 

 

 

 

さっきの例で出したような、

 

自己否定を伴う、謎目的の嘘

 

を自分につき続けていたら、

 

 

自分がなにが嫌で、なにが嬉しい人間なのか、わかんなくなっちゃうというマズい点がある。

 

 

 

 

きのうは自己受容の話をしたけど、

 

そもそも自分がどんな人間がに

 

目を向けていないと、受容もクソもできないからね。

 

 

 

 

 

 

きをつけよう。

 

 

 

 

 

 

以上

自己肯定と努力の話

 

 

 

アドラー心理学おもすれえ!!!

 

 

 

相変わらずどハマりしてます。

 

 

 

 

 

 

自己肯定と自己受容はちがうらしい。

 

 

 

 

 

自己肯定=「おれはおれはおれはすごーい!」=根拠のない自信

 

 

 

 

 

自己受容=「私は今こういう状態で、生きている」という自覚と、「そして、どうするか」という前向きな受容

 

 

 

ということらしい。

 

 

 

 

 

 

ここまで書いておいて何なんだけど、今日は自己肯定と努力の話。

 

 

 

 

 

 

今日は目的のないお散歩をしたんだけど、

 

美容室に行けないので髪がボサボサに伸びてしまい

 

 

 

 

仕方なく縛ってキャップを被って、ジャンパーを着た。

 

 

 

 

 

 

 

すると、新しいカジュアルな自分があまりにも可愛すぎて

 

 

予定の倍くらいたくさん歩いてしまった。笑

 

 

 

 

 

 

これってアドラーでいうところの

 

自己受容ではなく自己肯定だと思うんだけど

 

この根拠も無く真実かどうかも微妙な

 

「私は可愛い」

 

最近の日々はめちゃくちゃ支えられている。

 

 

 

 

可愛い私が、可愛いカバンと、可愛い財布

 

可愛い時計で、可愛いスニーカーで

 

可愛いジャンパーを着て

 

可愛いキャップを被って出かける

 

 

 

これだけで、最高の最強すぎるんですよ。

 

 

 

 

 

 

美容とかも同じで、鏡を見て毎日ウットリすることができれば

 

ウットリできない部分が出てきた時に解消しようとするし

 

 

 

 

 

それって、「いい状態の自分をキープする」という

 

ポジティブな結果に繋がるんじゃないか?と思った。

 

 

 

 

 

 

 

りゅうちぇるはイジメられて泣いたとき、

 

ふと鏡を見て

 

「え……ぼくの泣き顔かわいい……」

 

と思い華麗に復活したらしい。

 

 

 

 

 

 

この領域まで到達したいわ。笑

 

 

 

 

 

 

 

🌸

 

 

 

 

 

 

昨日ネイル変えました。

 

 

 


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ネイルまで自分で可愛く出来ちゃう私……

 

 

 

 

 

 

 

2020年は相対的ではなく

 

絶対的に可愛い私でいこうと思う。

 

 

 

 

 

(などとほざくアラサー)

 

 

 

 

 

 

 

 

以上