見たものたち

恥ずかしいから読まないで下さい

嫌な時に離れることの話

 

 

 

 

 

 

 

人間の抱く、「こいつ嫌だ」って感情    

 

 

 

 

 

 

 

 

曖昧すぎません?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10年くらい前に

 

ただしイケメンに限る

 

という

 

女性をバカにする目的の、

クソみたいなネットスラングが流行ったんだけど

 

 

 

 

 

別にこれ男女逆でも同じじゃん?

とめちゃくちゃ冷ややかに感じていたのを覚えてる。

 

 

 

 

 

 

 

 

ただ、実際のところ

 

発言によって他人を評価することはあっても

 

「何を言うかより、誰が言うか」

 

みたいな部分って必ずある。

 

 

 

 

 

 

イケメンか美人か、そうではないか、

 

学歴があるか、自分の好きな芸能人か、

 

以前どんな発言をしていたか、

 

家族構成はどうか、

 

何をなしとげた人なのか。

 

 

 

 

 

など。

 

 

 

 

 

 

 

色眼鏡とはほんとよく言ったもので、

 

誰の発言かな、というフィルターっていうのは

 

全員が共通して持っているものだと思う。

 

 

 

 

 

 

でもね、その逆で

 

 

どんなに今まで良くしてくれた人であっても

 

 

 

発言ひとつで、「あ、こういう人なのね」

 

失望してしまうこともある。

 

 

 

 

 

ちなみに私の場合、差別的な発言とか

 

想像力が欠けた発言とか

 

突き抜けて卑屈な発言とかをきいたとき

 

たまにこれが起きる。

 

 

 

 

 

 

 

そんな時大切なことは、

 

 

 

 

 

「は?こいつのこの発言、無理!」

 

と感じる

 

自分と向き合うことだと思っている。

 

 

 

 

 

 

これは本当に、重要。

 

 

 

 

 

 

 

「この人は私にこんなに〇〇をしてくれているのに、ひとつの発言で判断するなんてイケナイ。私は未熟者。」

 

 

 

とかアホな考え方をすると、

 

人生がどんどん嘘で染まっていく。

 

 

 

 

 

 

そもそも、発言って人間性なんですよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

ブスという言葉を使う人間は

 

人間をブスかそうでないかに分けた世界に生きているし、

 

 

 

 

 

 

ガイジという言葉を使う人間は

 

障害を健常以下だと考える世界に生きている。

 

 

 

 

※これは、自分が前者に属してるか後者に属してるかには一切よらない

 

 

 

 

 

 

言い過ぎに見えるかもしれないけど、これは紛れもない事実。

 

 

 

 

 

 

別にそういう人間はゴミだ!とか

 

離れなさい!とか言いたい訳ではない。

 

 

 

 

 

 

要は、「こいつないわ!」と自覚して

 

 

少し距離をおいて

 

 

それでも

「アイツ面白いからまた会いたいなあ」

となれば

 

 

「ないわ!って部分を持っているけど、その反面、とても面白いアイツ」に会う。

 

 

という意識で会えばいいという話。

 

 

 

 

自分に嘘をつくのが良くないという話。

 

 

 

 

 

 

何か違うか。何がマズいか。

 

 

 

 

 

さっきの例で出したような、

 

自己否定を伴う、謎目的の嘘

 

を自分につき続けていたら、

 

 

自分がなにが嫌で、なにが嬉しい人間なのか、わかんなくなっちゃうというマズい点がある。

 

 

 

 

きのうは自己受容の話をしたけど、

 

そもそも自分がどんな人間がに

 

目を向けていないと、受容もクソもできないからね。

 

 

 

 

 

 

きをつけよう。

 

 

 

 

 

 

以上