見たものたち

恥ずかしいから読まないで下さい

なかったことにしない、という事

 

 

 

 

岡村さんの番組降板を要求する署名。

 

 

 

 

やってますね。

 

この件、最近の中でもとくに

 

大きく燃えてるんじゃないか。

 

 

 

 

 

結構ビックリしたのが、有名Twitterアカウントが

 

 

「発言は酷いけど、それで降板要求とか

 

要は自分が嫌いなものをテレビに映すなということで

 

気に食わないと署名運動ですか〜」

 

 

みたいなツイートをしてウン万RTされて

 

そのうえ同じような意見を結構見かけること。

 

 

 

 

 

 

いやいや違くて、私の意見は

 

「これはなかったことにしない為の行動なんだ」

 

ということ。

 

 

 

 

 

 

ジェンダーの問題は特にそうだと思うけど、

 

「今ある常識」を変えるためには、

 

行動を起こさないといけないと。

 

 

 

 

なんの為かと言うと、

「謝罪して」「降板して」は真の目的ではない。

 

 

 

なかったことにしないこと。

 

 

 

流さないこと。

 

 

 

 

そもそも、例の件で傷付いた方々が

 

本当に自分の事だけを考えるのであれば

 

チコちゃんに岡村さんが出てようと出てなかろうと

 

心底どうでもいいでしょう。

 

絶対チャンネル合わせないし。見ないし。

 

 

 

先日の某団体が出した書面だって

 

セクハラ政治家から「ごめんなさい」を聞くこと自体には

 

なんの意味もないって本人達が1番わかってると思う。

 

 

そもそもセクハラ政治家なんて

 

本当はこれ以上関わりたくないだろ。普通に。

 

 

 

 

「この発言は、罪だ」

 

 

 

ということを実証する事で、

 

今まで何も変わってこなかった社会

 

少しずつ少しずつ変えたいという

 

 

そういう叫びなわけでしょ。

 

 

 

 

 

ただ本当にそれだけのことだと思う。

 

 

 

 

 

 

なーんで声を上げたら口を塞がれるんだろ。

 

人の勝手じゃない?声上げるくらい。

 

岡村さんの大ファンが言ってるなら、

感情的にはちょっとわかるけど。

 

 

 

 

 

 

 

「やりすぎ」

 

「怖い」

 

っていう意見は防衛本能なのかもしれない。

 

 

 

岡村さんに銃口を向けているように見えていて、

 

おっかないから銃を捨てさせようとするという。

 

 

 

でもそれは本質的ではなくて、

 

こうしないと、意見も権利も主張できない社会だから

 

署名運動を起こした方がいるわけで。

 

すごく立派だと思う、私は。

 

 

 

 

この件は関心が強いので追っかけます

 

 

 

 

 

以上

逃げ癖を考えた話

 

 

 

 

「逃げ癖があんねん」

 

 

 

 

 

ほー。と思った。

 

 

 

 

 

岡村さんがやらかし、矢部さんが出てきた

 

というラジオを聞いた。

 

 

 

 

(女性蔑視が顕著だったこの件については、私はもともと関心を寄せていた。でも今回の記事では省く)

 

 

 

 

 

 

 

矢部さんの目から見て岡村さんには逃げ癖があるらしい。

 

 

 

 

 

社会人になって、逃げ癖がある人間は

 

ちょっとやべーよな。

 

 

 

 

 

というのが最近の私の考えだったので、メチャクチャしっくりきた。

 

 

 

 

 

ただここで1つハッキリさせたいのが、

 

 

 

 

 

逃げ癖

 

 

向いてない事を止める

 

 

 

というのは、明確に違うということ。

 

 

 

 

 

 

 

 

そもそも、人間には適性がある。

 

 

 

 

 

初対面の人と話すのは緊張するから、

 

室内で黙々と作業する仕事を選ぶ。

 

 

 

 

これって逃げじゃないなと私は思う。

 

 

 

 

 

 

 

初対面の人と話すのは緊張するから、

 

友達の家に行っても親御さんに挨拶しない。

 

 

 

 

これが逃げだと思うんですよ。

 

 

 

 

 

 

要するに、

 

 

 

 

 

自分の選択(友達の家に遊びに行きたい)

(から行く)から発生する

 

 

人間として必要なことや義務(挨拶)

 

 

 

 

 

 

これを怠るのが逃げ。

 

 

 

 

まあ別に明確な区分とかはないんだけど。

 

 

そもそも私が勝手に考えただけだし。

 

 

 

 

 

 

 

この特徴って何かと言うと、

 

逃げたら逃げた結果の人生にしかならない

 

ということ。

 

 

 

 

 

 

 

メッチャ当たり前。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

逃げてる自分と同レベルの人間に慕われ、

 

逃げてる自分と共に寝起きし、入浴し、着替え、外に出る。

 

 

 

 

 

 

 

 

いや怖すぎん?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

逆に、向いてない事を止めるとはどういうことか。

 

 

 

 

 

 

 

まず、向いてない事は何か?

 

自分の向き不向きとは?

 

 

これについてよーーく自分と向き合い考えること。

 

 

 

 

 

なんならこの時点で「逃げ」とは真逆。

 

 

 

 

 

 

向いてることに注力し、

 

不向きな事の処理方法を考える。

 

人に依頼するとか、

必ずしも必要でないことなら、得意分野で代替するとか、そういうこと。

 

 

 

 

 

これをやってると、

 

向いてること(ストレングス)というのは

バカスカ伸びていく。

 

 

 

 

 

 

 

何かに打ち込んでいる人は他人からも評価される。

 

評価されるのが目的ではなく、

 

自分を慕ってくれる人間が現れる、という部分が重要。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まとめ

 

 

 

 

・自分の選択から発生する義務に

向き合わないこと=「逃げ」

 

・自分の向き不向きを判断し

向き(ストレングス)に注力して

物事を進めていくこと

=「向いてない事を止める」

 

 

 

 

 

 

 

 

・「逃げ」の特徴

→逃げ仲間がいっぱいできる

→逃げてるうちはずっと苦手なまま

→「やらなくて済むことではないこと」を習得しないまま人生が終わる

→逃げてる自分と四六時中いっしょ

 

 

 

 

 

 

 

・「向いてない事を止める」特徴

→向いてる事(ストレングス)が伸びる

→弱みを自己認識できているので対策できる

→人間としての強み、得意分野が確立される

→そこに人が集まる

→弱み対策の為、人に適切に「頼る」ことが可能になる

→表面上ではない人間関係を構築できる

 

 

 

 

 

こんなかんじかな。

 

 

 

 

ラジオのこの回教えてくれた後輩ありがとー。

 

 

 

 

以上

 

 

浅草が好きだという話

 

 

 

 

 

浅草への愛が止まらない。

 

 

 

 

 

 

 

行く度にシビれる。

 

行く度に幸せな思い出になる。

 

 

 

そんな浅草。

 

 

 

ハッピーバースデー自分ということで、

少し心を痛めながらも細心の注意を払い

 

浅草を歩いてきた。

 

 

 

私には

 

「ただそこにいるだけで

幸せすぎて呼吸が楽になる場所」

 

というのがあって、

 

 

 

 

ディズニーシーのハーバーサイド、

 

一時期狂ったように通っていた綺麗なバー、

 

渋谷パルコ、

 

 

 

 

そして最後に浅草。

 

 

 

 

本当に数少ない癒しの場所。

 

 

 

 

 

和菓子が崇拝されているところ、

 

人が多いところ、

 

古くさいところ、

 

観光地なのに、きちんと

歴史と生活が感じられるところ

 

 

 

大好き。

 

 

 

 

行く度にガチャガチャショップに行って

 

買いすぎちゃうんだよなぁ。

 

 

 

 

なんか浅草で手に入れたものってだけで

 

特別な気がする。

 

 

 


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札幌で、テレビの中の都会を眺めていた私にとっては

 

そこに生活している人間がいるという、当たり前の事実が

 

とてつもない新発見をしたような感覚なんだよね。

 

 

 

 


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前も書いてたから載せとく。

 

 

 

 

 

以上

父と私の話

父と私の話。

 

 

心の中で1番引っかかっているものは?

 

と聞かれたら、迷わずに

父との関係

と答えると思う。

 

 

 

それ位に私は父親との関係に満足していない。

 

 

 

怖くて、強くて、不機嫌にさせてはいけなくて、

 

理不尽で、デリケートな父。

 

 

 

私は22歳まで実家に住んでいた。

 

 

 

物心ついてから、

 

父親の機嫌を伺わなかった日は1日も無いと思う。

 

 

 

 

だから私の考え方の癖は

 

他人の顔色を伺うようなもので、

 

そして、それが間違いだという感覚がずっとある。

 

 

 

 

それは自己責任なのか、自分の選択なのか

 

 

いやいや父のせいなのだ、おかしいのはあの人だろうと

 

 

 

 

毎日毎日毎日毎日考えていた。

 

特にここ数年は。

 

 

 

 

 

ここ数年で何があったかというと、

 

 

 

 

自由に好きに生きる為に

 

色んな事を試しては失敗し傷つき、

 

その度に生きてる実感あるな、ああ楽しいな人生。と思っていた。

 

ていうか今日も思ってる。

 

 

 

 

 

 

けれども理想の自分がどこかにいて、

 

そこと少なからず乖離している自分

 

20代後半でポヤポヤ生きている自分

 

 

 

 

 

そんな自分が大好きで、でも少し嫌いで、

 

そして家族関係に起因してるなこれはと

 

 

 

ずっと思ってた。

 

 

 

 

ずっと思ってたし、いまこの瞬間も思っているんだけど

 

 

 

 

父親から切ないメールが来てしまった。

 

 

 

 

私が生まれた日にどれだけ嬉しかったか。

 

産まれたての私が可愛かったということ。

 

 

 

 

 

 

キャラチェン?

 

 

 

 

 

なんにせよ、してやられた、という感じで

 

 

 

 

 

今日から父に対する印象は、

 

このメールを書いたやつ、というのが加わるし

 

それはとても私にとって重大な事だと思った。

 

 

 

 

 

よかったんだけど良くなくて、

 

嬉しいんだけど辛くて、苦しい。

 

 

 

 

 

今日から新しく

 

 

この気持ちで生きていかなきゃいけないのか、と思うと

 

少しだけウンザリする。

 

 

 

 

 

 

確かに自由というのは罰なのかもしれないと

 

ボンヤリと考えた。

 

 

 

 

 

 

27歳になった。

 

 

 

 

 

 

以上

 

インスタでキラキラしたら病んだ話

インスタの使い方がわからない。

 

 

 

Twitterとの使い分けがよくわからないし、

 

 

なによりもなぜいまさら

 

足跡機能

 

なのかもよくわかっていない。

 

 

 

 

時代は回るらしい。

 

 

 

足跡機能(ストーリーの)があると

 

めちゃくちゃ如実に他人の目線が気になり始めて、

 

他人に向けた自己!みたいな投稿になる。

 

 

 

昨日はそれの最高潮で、

 

「誰も読まないブログに書評をかきました」

 

みたいなストーリーをあげてみた。

 

 

 

 

 


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(自戒)

 

 

 

 

友達からリアクションが来たところで、

 

「自分の為の書評(という名の記録)」

 

 

「他人に自己アピールする為の書評」

 

に、その瞬間成り代わってしまったと思った。

 

 

 

 

 

 

 

ヤバすぎ。

 

 

 

 

 

 

 

虚無がすごいし、

 

 

 

 

 

 

 

いやいや私は私の為に生きてるんだが!

 

ウケる!

 

 

 

 

 

 

と思って翌朝投稿自体消しました。

 

 

 

もうキラキラ自粛デイズのアピールは

 

二度としないと心に誓いました

 

 

 

あ、これやって嬉しかった楽しかった

 

可愛かったみんな見て見て

 

 

 

みたいなやつは単純にハッピーなので続けます

 

 

( ◜ᴗ◝) (◜ᴗ◝ )

 

 

以上

史上最強の哲学入門

 

史上最強の哲学入門 (河出文庫)

史上最強の哲学入門 (河出文庫)

  • 作者:飲茶
  • 発売日: 2015/11/05
  • メディア: 文庫
 

 

 

現代全開の口語で哲学の歴史を教えてくれる良書!!

 

 

全四章から成り、

真理

国家

存在

それぞれの真理を解き明かすべく立ち向かった哲学者たちが

1人ずつ解説されている。

 

紹介文でも「驚異的な噛み砕き方」と書かれているが、正に。

 

面白いのは、

 

それぞれの哲学者が

なぜそれを疑問に思い

⇒どのように考え

⇒どのような結論に至ったか

 

をというプロセスがめちゃくちゃドラマチックに書かれている点。

 

基本的に私は

外国の方の名前を覚えられないという奇病に罹っているんだけど

そんな私でも

 

「こいつ誰だっけ・・あぁ思い出した、アレで悩んで○○って思想に至った人だ」

 

と思い出せる。

 

 

 

つまり哲学者1人1人のドラマ、物語が簡潔に描かれているので

感情移入できるし、頭にも入って来易い!

 

 

 

哲学に興味がある人になら

フツーに面白い小説!

みたいな感じでお勧めできるなぁと感じた。

 

 

哲学に興味ある人!哲学者の名前なんて0~3人しか知らん人!

 

つまり私のような人!

 

読みたまえ!

 

 

 

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私的メモ

 

そもそもロクに学校通ってないので、

哲学について学んだ覚えが微塵もなかった私なんだけど

最近興味が湧いて0から学んでみようと思って購入。

 

哲学の歴史を学んで思ったのは

・紀元前から人間は「マジでこれが1番正しい」ということ=真理を探していた

・それは今の自分(若しくは人類)も同じである

・時代や環境によって「正しさ」も価値判断も変わる

(たとえばイスラームにとっては豚肉食べるのは禁忌、非常識、誤り)

(でも我々は普通に食べている)

・つまりそもそも、主観以外での「正しさ」というのは存在しない

・社会的な正しさ(=法、規範)も主観、今ここに住んでいる人々のルール

・それは「絶対の正しさ(=真理)」とは別物

・「正しいか間違っているか、という心の中の定規」=真理を探している状態

・そしてそれは意味がない

・ヤバい

 

ということ。

もう少し哲学と心理学を勉強したいなと

素直に思えるきっかけになったから、読んでよかった。